カフェのみなさんへ。
カフェでの議論をオープンします。
まず、このカフェが、ドストエフスキーにまつわる名称に代わったことの意味をお伝えします。
そして何よりも、みなさんに伝えなくてはならないことがあります。それをこれから、ゆっくりと、何回かにわたって語っていきたいと思います。
2005年にみすず書房から刊行した『悪霊 神になりたかった男』について、一人の読者から、真剣な問題提起が寄せられました。それは、この本のなかで提示している、マトリョーシャ14歳のディテールが「スタヴローギンの告白」のなかに欠落しているという指摘です。また、江川卓訳『悪霊』の付録に掲載された「告白」では、12歳とされていることです。
これについては、これまで公に説明する機会が訪れませんでしたので、今回のカフェオープンをきっかけにきちんと述べていこうと考えていました。その矢先にそうした提起がなされました。
『悪霊 神になりたかった男』で使用したテクスト「告白」は、この本をお読みになった方であれば、すでにご存知のように、2種類あります。これは、モスクワ版とペテルブルグ版の二つといってよいものです。あるいは、校正刷版と、筆写版と私が仮に呼んだものです。新潮社の『悪霊』は、アンナ夫人がドストエフスキーの死後、彼女なりの意図にしたがって筆記したものがベースとなっているように思われます。上記の本で、私が使用したテキストは、校正刷り版のほうで、最近では、こちらが正稿とみなされているのか、たとえば、リュドミラ・サラスキナさんが編纂した『悪霊』における「告白」は、こちらの版を使用しています。ドストエフスキーは、「告白」なくしては『悪霊』そのものが成り立たないと考えたくらいに、これを必死で書き、推敲しましたが、当時の編集者は、検閲を意識し、最後まで掲載にゴーサインを出しませんでした。その戦いの仮定で、いくつかの「告白」バージョンが出てきたのではないか、と思われますが、私の知る限り、現在はこの二つがメーンです。結局、『悪霊』は、当時、「告白」の部分をぬきに雑誌で連載が続行され、同時に、「告白」ぬきで、単行本が刊行されました。私は、この「校正刷」と呼ばれ、現在は、より正統的なテクストとして流通されているもの(これは主観によりますが)を使用しました。このテクストでは、マトリョーシャは、「14歳ぐらいの」と提示され、最後に、この少女の年齢は、「無力で十歳の」と言い換えられることになります。このテクストには、12歳という年齢は出てきません。ドストエフスキーがなぜ、最初に「14歳ぐらいの」と書き、それを後で10歳の、と書き換えたか、それは私には理解できませんが(ルソーの「告白」との関係でヒントが得られるかもしれない、とは、思います)、しかし、スタヴローギンは、マトリョーシャを14歳ぐらいと、認定していたことは事実です。こうした年齢の変更は、じつは、『罪と罰』の最後近くで、これと同じ年齢の変更のモチーフは、スヴィドリガイロフと少女の出会いの場面にも出てきます。『罪と罰』の場合は、おそらくそのエピソードの夢幻的な性格によるものかもしれません。
私は、この悪霊論で、スタヴローギンがマトリョーシャを14歳ととらえてことの意味を考えながら、そこに何か重要な暗示があると考え、それを元に『悪霊 神になりたかった男』を書きました。もちろん、この本は、マトリョーシャの年齢をめぐる話題について記したものではありませんし、他にもいろんなテーマをめぐって自分なりの考えを述べていますが、この14歳のテーマはやはり重要な部分だと思います。何よりも、江川卓訳の『悪霊』の付録として出されているものとは、テクストがまったくことなる、ということをご理解いただけると幸いです。『悪霊』専門のドストエフスキー研究者でなくても、このあたりのことについては、もちろんくわしくご存知のはずです。
ところが、『悪霊 神になりたかった男』が成立するプロセスのなかで、重大な手落ちが生じました。それは、原文のなかにある最も重要なワンフレーズが翻訳のなかで抜け落ちたということです。私は、まったくそれに気づかずに半年過ごしました。その段階で、横浜に住むひとりの読者からそのことの指摘を受け、それに気づき、その読者には、手紙でその旨をつげ、増刷の際には、確実に訂正を入れることを、版元にも連絡した次第です。もし、原文で確かめたい、という方は、ウエブ上でドストエフスキーのほぼすべての作品をロシア語で読むことができますので、ご確認いただけると幸いです。原文では、次のように書かれています。
думаю, лет четырнадцати, совсем ребенком на вид.
「思うに、見たところ、十四歳ぐらいのまったくの子ども」
(http://ilibrary.ru/text/1544/p.107/index.html%20-%2042k)
「14歳」という年齢に興味をもつ読者にとっては、ははなだ不親切な結果になりましたが、マトリョーシャが「14歳ぐらい」というスタヴローギン=ドストエフスキーの記述にまちがいはありません。ですから、少なくとも論の展開からして、年齢の改竄を行っていることにはなりません。繰り返しますが、『悪霊』研究で先駆的な仕事をなさったサラスキナさん編纂の最新の『悪霊』テクストでは、この14歳が採用されているのです。要するに、江川訳『悪霊』のテクストと、私の使用したテクストが異なっているということをご理解いただけると幸いです。
次に、同じ読者の方から、マトリョーシャ=マゾヒストの説についても質問がなされました。これは、あくまでも仮説である、ということは、本書をお読みの方にはおわかりでしょう。しかし、わたしは、マトリョーシャをマゾヒストとして仕立てたわけではありません。ドストエフスキーにとって、マゾヒスムは根本的なトラウマでした。そして、痛みのなかに快楽を感じる、という人間の「悲劇的な業」について、彼は、むしろそれをこそ文学的なイメージの源泉としていったのだ、と考えています。マゾヒストを、何か、倒錯的で表象的なイメージでしかとらえられない人もいますが、私は、非常にきびしい、重大なテーマだと考えます。私は、『ドストエフスキー 父殺しの文学』でも、書いたと記憶していますが、『白痴』に登場するヒロイン、ナスターシア・フィリッポヴナには、同じようなトラウマがあるのではないか、と考えています。ロシアの異端派の問題である鞭身派や、去勢派の問題が出てくるのもそれとの連関にように思えてなりません。そして、ナスターシアのトラウマとは、みずからの内なるマゾヒズムの発見ではないか、という仮説を提示しました。しかし、痛みのなかに快楽を見出すということは、恐ろしいことです。なぜなら、自分への疑いに通じるからです。つまり、快楽の発見それ自体が、苦しみとなり、傷になるのです。おそらく、そうした一瞬が、どこかの時点で、ドストエフスキー自身の身にも起こったのではないかと想像します。それは、マゾヒズムに最初にめざめた人間の根源的な体験です。ですから、マトリョーシャが、鞭打ちを受けたあとに泣いていたというのは、けっして痛みを快感として経験していたからなどではない、と思いますし、事実、私は一度としてそんなことを考えたこともありませんし、一行たりともそんなことを書いてはおりません。むしろ、先ほどのいた「悲劇的な業」と「根源的な体験」に出会った恐ろしさゆえの涙であったと、私は考えたのでした。しかし、これも一つの解釈であり、仮説にすぎません。学問は、そうした解釈や、仮説がなければ、前に進まないと思い、あえて、『悪霊 神になりたかった男』のなかでそれを提示したのでした(なお、『悪霊』におけるドストエフスキーとルソーの関係については、ウエブ上のトロント大学の論集で読むことができます)。ただ、一つここで断っておきたいのは、かつて、私が大学3年生のときに最初に『悪霊』を読んだときには、そうしたマトリョーシャ像は思ってもみなかったということです。もっともっと素朴にマトリョーシャを理解していました。しかし、ドストエフスキーの伝記を知り、考えが少しずつ変わっていきました。ドストエフスキーが仕掛ける複雑なインターテクスチュアリティに翻弄されているのかもしれないと思うこともあります。しかし、一つだけその根拠となるものを示します。『カラマーゾフの兄弟』に登場するリーザ・ホフラコーワです。彼女の恐ろしくも悲劇的な業に出会うにあって、こういう解釈も成立するかもしれない、と考えたのです。ドストエフスキーが、この少女の像をはじめて発見したのはいつだったでしょうか。それは、わかりません。私の直感では、『カラマーゾフの兄弟』を書いていたときではない、もっと前、と思うのです。しかしこれも空想の領域です。私は、かつて、マトリョーシャ=マゾヒスト説について批判をくださった方に対して、反論の文章を用意し、一日だけ私のHP上に反論を掲載したことがあります。それは、原稿用紙30枚近くに及ぶものです。その原稿を、近いうちに本ブログで掲載するか、あるいは、どこかに発表したいと考えていますが、そのときに、もっとこの問題について深いご理解をいただけると思います。こうしたブログ形式では、なんとしても限界があります。
疑問をお寄せくださったRさん、これで、いくばくかの答えになったでしょうか。
折をみて、『カラマーゾフの兄弟』についていろいろ書いてみたいと思います。