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2008年05月22日

KVa.005 After Concert Talk, ore 4 Images of Death

銀座・三越裏に、王子ホールという瀟洒なコンサートホールがある。
昨夜、友人の招待で、L,T.によるオールショパン・プログラムに出かけた。
メーンのプログラムは、ピアノソナタ第二番「葬送」。私はこの曲がとても好きだ。
期待通りの演奏でとても満足した。
会場には、知り合いの音楽批評家も来ていて、幕間に談笑した。
コンサートがはねてからサイン会があり、お礼を述べた。
今から15年前、L.T.さんのコンサートをモスクワで聴き、自宅に招かれたこともある。
モスクワで聴いたときよりも、すばらしいできばえと感じられたのは、スタインウェーのピアノのせいだったとは思えない。着実に研鑽を積んできたのだ。
帰り道、編集者を交え、友人4人で近くのワインバーのテーブルを囲んだ。
なんと、トスカナの大好きなワイン、テラビアンカが置いてある。
割り勘ということにして一本注文し、語り合った。
私は、尋ねた。
「葬送」のメロディが流れたとき、何を思っていましたか。
4通りの答えが生まれた。
  1、イリューシャのお葬式の場面。
  2、自分がいま担当している、高齢の作家のこと。
  3、30年以上も前に死んだ母と、自分が死ぬときのお葬式のこと。
  4、1953年3月のスターリンの葬儀。
わたしが、何番目の答えであったかは、きっとお分かりだろう。
なぜか、わからない。きっと、L.T.のピアノが何か非日常的なドラマ感に満ちていたからだろうか。
あの日、ピアニストのスビャトスラフ・リフテルは急遽モスクワ都心にある連邦会館に呼び出され、ショパンのこの曲を延々と弾かされたという。
それにしても、行進曲風の第一主題が終わり、展開部に入るところのメロディとそれが要求する解釈は、きっと、この世と別れを告げようとする人の人生と人々の記憶によってさまざまな変化していくことだろう。死者がイリューシャであるのと、スターリンであるのとは、ずいぶん異なる。
では、フョードル・カラマーゾフの葬儀とはどんなものだったのか?

2008年05月15日

KVa.004 About Matryosha

 カフェのみなさんへ。
 
 カフェでの議論をオープンします。

 まず、このカフェが、ドストエフスキーにまつわる名称に代わったことの意味をお伝えします。
 そして何よりも、みなさんに伝えなくてはならないことがあります。それをこれから、ゆっくりと、何回かにわたって語っていきたいと思います。

 2005年にみすず書房から刊行した『悪霊 神になりたかった男』について、一人の読者から、真剣な問題提起が寄せられました。それは、この本のなかで提示している、マトリョーシャ14歳のディテールが「スタヴローギンの告白」のなかに欠落しているという指摘です。また、江川卓訳『悪霊』の付録に掲載された「告白」では、12歳とされていることです。

 これについては、これまで公に説明する機会が訪れませんでしたので、今回のカフェオープンをきっかけにきちんと述べていこうと考えていました。その矢先にそうした提起がなされました。

 『悪霊 神になりたかった男』で使用したテクスト「告白」は、この本をお読みになった方であれば、すでにご存知のように、2種類あります。これは、モスクワ版とペテルブルグ版の二つといってよいものです。あるいは、校正刷版と、筆写版と私が仮に呼んだものです。新潮社の『悪霊』は、アンナ夫人がドストエフスキーの死後、彼女なりの意図にしたがって筆記したものがベースとなっているように思われます。上記の本で、私が使用したテキストは、校正刷り版のほうで、最近では、こちらが正稿とみなされているのか、たとえば、リュドミラ・サラスキナさんが編纂した『悪霊』における「告白」は、こちらの版を使用しています。ドストエフスキーは、「告白」なくしては『悪霊』そのものが成り立たないと考えたくらいに、これを必死で書き、推敲しましたが、当時の編集者は、検閲を意識し、最後まで掲載にゴーサインを出しませんでした。その戦いの仮定で、いくつかの「告白」バージョンが出てきたのではないか、と思われますが、私の知る限り、現在はこの二つがメーンです。結局、『悪霊』は、当時、「告白」の部分をぬきに雑誌で連載が続行され、同時に、「告白」ぬきで、単行本が刊行されました。私は、この「校正刷」と呼ばれ、現在は、より正統的なテクストとして流通されているもの(これは主観によりますが)を使用しました。このテクストでは、マトリョーシャは、「14歳ぐらいの」と提示され、最後に、この少女の年齢は、「無力で十歳の」と言い換えられることになります。このテクストには、12歳という年齢は出てきません。ドストエフスキーがなぜ、最初に「14歳ぐらいの」と書き、それを後で10歳の、と書き換えたか、それは私には理解できませんが(ルソーの「告白」との関係でヒントが得られるかもしれない、とは、思います)、しかし、スタヴローギンは、マトリョーシャを14歳ぐらいと、認定していたことは事実です。こうした年齢の変更は、じつは、『罪と罰』の最後近くで、これと同じ年齢の変更のモチーフは、スヴィドリガイロフと少女の出会いの場面にも出てきます。『罪と罰』の場合は、おそらくそのエピソードの夢幻的な性格によるものかもしれません。
私は、この悪霊論で、スタヴローギンがマトリョーシャを14歳ととらえてことの意味を考えながら、そこに何か重要な暗示があると考え、それを元に『悪霊 神になりたかった男』を書きました。もちろん、この本は、マトリョーシャの年齢をめぐる話題について記したものではありませんし、他にもいろんなテーマをめぐって自分なりの考えを述べていますが、この14歳のテーマはやはり重要な部分だと思います。何よりも、江川卓訳の『悪霊』の付録として出されているものとは、テクストがまったくことなる、ということをご理解いただけると幸いです。『悪霊』専門のドストエフスキー研究者でなくても、このあたりのことについては、もちろんくわしくご存知のはずです。
ところが、『悪霊 神になりたかった男』が成立するプロセスのなかで、重大な手落ちが生じました。それは、原文のなかにある最も重要なワンフレーズが翻訳のなかで抜け落ちたということです。私は、まったくそれに気づかずに半年過ごしました。その段階で、横浜に住むひとりの読者からそのことの指摘を受け、それに気づき、その読者には、手紙でその旨をつげ、増刷の際には、確実に訂正を入れることを、版元にも連絡した次第です。もし、原文で確かめたい、という方は、ウエブ上でドストエフスキーのほぼすべての作品をロシア語で読むことができますので、ご確認いただけると幸いです。原文では、次のように書かれています。
 думаю, лет четырнадцати, совсем ребенком на вид. 
「思うに、見たところ、十四歳ぐらいのまったくの子ども」
(http://ilibrary.ru/text/1544/p.107/index.html%20-%2042k)

「14歳」という年齢に興味をもつ読者にとっては、ははなだ不親切な結果になりましたが、マトリョーシャが「14歳ぐらい」というスタヴローギン=ドストエフスキーの記述にまちがいはありません。ですから、少なくとも論の展開からして、年齢の改竄を行っていることにはなりません。繰り返しますが、『悪霊』研究で先駆的な仕事をなさったサラスキナさん編纂の最新の『悪霊』テクストでは、この14歳が採用されているのです。要するに、江川訳『悪霊』のテクストと、私の使用したテクストが異なっているということをご理解いただけると幸いです。

 次に、同じ読者の方から、マトリョーシャ=マゾヒストの説についても質問がなされました。これは、あくまでも仮説である、ということは、本書をお読みの方にはおわかりでしょう。しかし、わたしは、マトリョーシャをマゾヒストとして仕立てたわけではありません。ドストエフスキーにとって、マゾヒスムは根本的なトラウマでした。そして、痛みのなかに快楽を感じる、という人間の「悲劇的な業」について、彼は、むしろそれをこそ文学的なイメージの源泉としていったのだ、と考えています。マゾヒストを、何か、倒錯的で表象的なイメージでしかとらえられない人もいますが、私は、非常にきびしい、重大なテーマだと考えます。私は、『ドストエフスキー 父殺しの文学』でも、書いたと記憶していますが、『白痴』に登場するヒロイン、ナスターシア・フィリッポヴナには、同じようなトラウマがあるのではないか、と考えています。ロシアの異端派の問題である鞭身派や、去勢派の問題が出てくるのもそれとの連関にように思えてなりません。そして、ナスターシアのトラウマとは、みずからの内なるマゾヒズムの発見ではないか、という仮説を提示しました。しかし、痛みのなかに快楽を見出すということは、恐ろしいことです。なぜなら、自分への疑いに通じるからです。つまり、快楽の発見それ自体が、苦しみとなり、傷になるのです。おそらく、そうした一瞬が、どこかの時点で、ドストエフスキー自身の身にも起こったのではないかと想像します。それは、マゾヒズムに最初にめざめた人間の根源的な体験です。ですから、マトリョーシャが、鞭打ちを受けたあとに泣いていたというのは、けっして痛みを快感として経験していたからなどではない、と思いますし、事実、私は一度としてそんなことを考えたこともありませんし、一行たりともそんなことを書いてはおりません。むしろ、先ほどのいた「悲劇的な業」と「根源的な体験」に出会った恐ろしさゆえの涙であったと、私は考えたのでした。しかし、これも一つの解釈であり、仮説にすぎません。学問は、そうした解釈や、仮説がなければ、前に進まないと思い、あえて、『悪霊 神になりたかった男』のなかでそれを提示したのでした(なお、『悪霊』におけるドストエフスキーとルソーの関係については、ウエブ上のトロント大学の論集で読むことができます)。ただ、一つここで断っておきたいのは、かつて、私が大学3年生のときに最初に『悪霊』を読んだときには、そうしたマトリョーシャ像は思ってもみなかったということです。もっともっと素朴にマトリョーシャを理解していました。しかし、ドストエフスキーの伝記を知り、考えが少しずつ変わっていきました。ドストエフスキーが仕掛ける複雑なインターテクスチュアリティに翻弄されているのかもしれないと思うこともあります。しかし、一つだけその根拠となるものを示します。『カラマーゾフの兄弟』に登場するリーザ・ホフラコーワです。彼女の恐ろしくも悲劇的な業に出会うにあって、こういう解釈も成立するかもしれない、と考えたのです。ドストエフスキーが、この少女の像をはじめて発見したのはいつだったでしょうか。それは、わかりません。私の直感では、『カラマーゾフの兄弟』を書いていたときではない、もっと前、と思うのです。しかしこれも空想の領域です。私は、かつて、マトリョーシャ=マゾヒスト説について批判をくださった方に対して、反論の文章を用意し、一日だけ私のHP上に反論を掲載したことがあります。それは、原稿用紙30枚近くに及ぶものです。その原稿を、近いうちに本ブログで掲載するか、あるいは、どこかに発表したいと考えていますが、そのときに、もっとこの問題について深いご理解をいただけると思います。こうしたブログ形式では、なんとしても限界があります。

 疑問をお寄せくださったRさん、これで、いくばくかの答えになったでしょうか。

 折をみて、『カラマーゾフの兄弟』についていろいろ書いてみたいと思います。

 



 
2008年05月09日

KVa.003 Thank You For the Words of Congratulations!

カフェを移転してから明日で一週間、たくさんのおめでとうの言葉、ありがとうございます。
お送りくださったお祝いの言葉を紹介させていただきます。

電文披露のセレモニーのようです。

まだ、本カフェの移転先を知らない方々もたくさんいらっしゃると思います。
いち早く、OCNに移転通知を出してくださるようにお願いしているのですが、まだのようです。

どうか、お許しを。

CM
2008年05月07日

KVa.002 Waiting For My Straying ...

ミャンマーで2万人以上の人々がサイクロンで死亡、日本では、3人の子どもを殺した父親が獄中で自殺、警察の110番には、恋人を失った男が電話での相談……芥川賞作家の中村正則が、裁判員制度をめぐって疑義を呈している。はたして一般人に死刑判決に関わらなくてはならない義務があるのか、と。

 すべてのニュースが、わずか5センチ四方の画面に収まっている。世界で起こる出来事のすべての印象は、2001年をきっかけに根本から変わってしまったような気がする。その現象を、面白いというのでも、怖い、というのでも、ない。変わってしまったのは、わたしだけなのだろうか。誕生から遠くへだった人間におとずれる必然の感覚なのだろうか。

 この連休中は、3つの仕事を進めていた。翻訳と再刊される昔の本の原稿の改訂作業と、そしてブログ作りである。ブログは親しい友人の助けを借りた。この先、若干の手直しがあると思うが、全体の基本デザインは固まった。どこかに、写真コーナーやギャラリーなどを設けたいと思うけれど、不可能だろうか。カフェなので、カフェらしく、壁に絵も貼ってみたい。

 少しずつ、カフェ・マヤコフスキーのホストたちが宇宙空間をさまよったあげくにここに戻ってきてくださっている気配がある。友人たちがそろうまで、ここでずっと一人で待ってみようと思ったのだけれど、そろそろ腰をあげてみよう。ミッドナイトカフェなのでコーヒーもワインも出る。

 カフェ・マヤコフスキー時代のコメントも読めるように設定した。出会いと友情の記録なので、大事にしたい。カフェ・カラマーゾフにお寄せくださっているコメントは、公開をもう少し待ちたい。迷子になった友人たちが戻ってくるまで、カフェの郵便受けに大事に貯めておき、全員がほぼ揃ったころに、一挙に紹介させていただく。だって、戻ってきた友人たちが、きっと取り残されたような、さびしい思いを経験するだろうから。

 というわけで、もう少し待ってくださると。

 昔、岩波書店から出した『終末と革命のロシアルネサンス』の3番目の章が「ミハイル・ヴルーベリ」だが、いまはそれを読んでいる。

 『罪と罰』を訳しながらつくづく思うことがある。この小説のテーマは、運命ではないか、と。ラスコーリニコフがナポレオン主義にかられた理由がわからない。なぜ、殺したかもわからない。ここは、もう、作家に憑依することによってしか、探れない部分ではないかとさえ思う。だが、小説の組み立てはすごい。どこまでも計算され尽くしているという感じだ。文体面では、『カラマーゾフの兄弟』ほどの破綻はないけれど、それでもドストエフスキーのどこか病的な癖がところどころに出る。彼は、美的にはほとんど書いていない。どこまでもロジックと直感のないまぜになった独特の文体にすべてを賭けている。

 では、また書斎にもどる。 
2008年05月05日

KVa.001 Welcome to Midnight Cafe KARAMAZOV!


ミッドナイト・カフェ・カラマーゾフにようこそ!
5月5日の子どもの日を待って、再スタートを切ることができました。
カフェの開店としてこの日にまさる日付はないかもしれません。
アリョーシャ以下12人の子どもたちの姿が目に浮かびます。
イリューシャの石も思い出されます。
 
最初に、皆さんにお願いがあります。
どうか、カフェの雰囲気を大切にしてほしいということです。
時には熱く議論が持ち上がることもあるでしょう。
また、静かな語らいで時を過ごしたいと思うこともあるでしょう。
わたしにとって、とても大切な空間です。
ですから、熱くも、クールでも、心地よい空間がはぐくまれるようにみなさんにお願いします。 

そしてお詫びしなければならないことがあります。
カフェ・マヤコフスキーに立ち寄ってくださった方々へのアナウンスもできずに、このカフェがオープンされたことです。これは、ひとえにわたしの手違いにあります。
きっと、いま、閉ざされたカフェの前に立たれた方は、事情がわからずに困惑されているかもしれません。ほんとうにごめんなさい。
この広いウエブ空間のなかから、手探りでここにたどり着いてくださることを願わざるをえません。
 
『カラマーゾフの兄弟』を読まれた方は、きっと、人間が生きる世界の深さを経験し、傲慢さの悪がどのようなものであるかを知ったことでしょう。しかし、あるときは、傲慢さは、人間が生きるうえでの必要悪であることもあるのです。しかしそれを乗り越える努力を怠ってはならないと考えます。

わたしは、このカフェに、夜のささやかな時にしか立つことがができませんが、末永く、豊かな語らいを続けていってほしいと思います。また、カフェのなかで新しい友情がいくつも生まれますように。

 カフェ・マスター 亀山郁夫

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