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2008年06月04日

The first number of ...

 わたしのこの仮説を展開するには、まず、『カラマーゾフの兄弟』が掲載された1879年1月号「ロシア報知」が、いつ発売されたか、と関わってくる。あるいは、いつが校了だったか、ということも大切である。つまり、ぎりぎりどこまで彼は、「著者より」の校正にねばったか、ということだ。それがはっきりすれば、安心して仮説が立てられる。日本だといろいろある。1月号が1月のはじめ、ということはないが、1月号は、早いものでは、12月の、5、6日ぐらいからある。文芸春秋は、10日頃の発売だと思う。新潮、群像その他の文芸誌は、前の月の7日前後である。19世紀のロシアだと、活字を組む作業があるので、時間はかかるが、レイアウトなどに時間を費やすということはあまりなかったと思われる。校了から発売まで10日と考えて判断する。
 かりに雑誌が、12月20日の発売だったとする。
 すると、ドストエフスキーは12月5日ぐらいまではねばれたはずである。
 しかし、これも憶測にすぎない。
 そもそもわたしは何がいいたくて、こんま込み入ったディテールにこだわっているか、ということだ。
 そう、どの段階でアリョーシャが主人公として想定されたか、それを知りたいのだ。つまり、「第二の小説」の構想がいつの段階で生まれたか、ということを知るには、このあたりの事情がとても大切になるのだ。
2008年06月02日

Empire

わたしの小さな書斎に、とうとう「ヴィザンチン帝国」の音楽が鳴りはじめた。メーンテーマはまるでプロコフィエフが書いた映画音楽のようだ。はるかに遠い時空への、ノスタルジックな憧れに満たされた音楽にインスピレーションを得て、いくつか小さな原稿を書いている。
 一つは、「考える人」(新潮社)特集号のアンケート、もう一つは、さる広告代理店の雑誌の、これもやはりアンケート。
 『カラマーゾフの兄弟』について、いま、新しい仮説が生まれようとしている。それは、『カラマーゾフの兄弟』が発表される1年前の構想と、一月前の構想はまったく異なったものだ、という仮説だ。作家の想像力は日々進化しているから、当たり前といえば、当たり前かもしれない。しかし、それでもわたしはこう考えている。『カラマーゾフの兄弟』の主人公は、本来、アレクセイ・カラマーゾフではなかった、と。そのことをこれからおいおい書いていこうと思うのだが、罪罰の追い込みにしばられて、なかなかそこに向かえない。
 ターニングポイントは、1878年11月にあった、と考えられる。このとき、ドストエフスキーの脳裏である劇的な転換が起こったにちがいないのだ。これからの作業で必要となるのは、『カラマーゾフの兄弟』の創作史だ。まず、徹底的にそのプロセスを分析し、空想をはばたかせなくてはならない。
 
2008年06月01日

My Necessary Explanation

 
 『カラマーゾフの兄弟』とは、どのような小説であったのか。
 父殺しとは、何か?
 カラマーゾフの言葉の起源とは何か?

 ひるがえって、翻訳とは何か?
 そして『カラマーゾフの兄弟』の翻訳とは何であったのか?
 どのような新しい試みを志していたのか?

 『カラマーゾフの兄弟』講義をはじめるにあたって、一つ「弁明」を試みよう。
 議論は、それからでもけっして遅くはない。

 翻訳はしばしば演奏論にたとえられる。
 しかしその例えはけっして正確ではない。
 似ているということはむずかしくないが、どこが似ていないかをいうことのほうが大切だろう。
 感動的な演奏、人の心を打つ演奏というのはある。しかし基本は正確に演奏されていることが前提となる。とはいえ、人の心を打つ演奏も、打たない演奏も基本的には聴き手の判断次第だということだ。千人の聴き手に喜ばれる演奏が、ひとりの聴き手に喜ばれる演奏よりも優れているということにはけっしてならない。むろん逆の言い方も可能である。しかしその違いは、あくまでも楽譜の解釈から来るということだ。しかし、解釈の違いだけに帰するだけでは、説明は十分とはいえない。解釈をこえて音そのものが生み出す不思議な喜びということもある。しかし、肝心なことを忘れてはいけない。大切なのは、人は演奏に感動しているのではなく、根本的には音楽そのもの力に感動している、ということだ。音楽がすぐれていなければ、どんなにたくみな演奏をもってしても、人に感動を与えることはむずかしい。

 『カラマーゾフの兄弟』は、NHK出版から出た『ドストエフスキー 父殺しの文学』を書いてから、いつのまにか夢に見るようになった翻訳の仕事である。残りもけっして多くはない人生の多くを費やしたという思いと達成感があった。もともと、わたしは翻訳が不得手だった。そのことは、岩波新書『翻訳者の仕事』のなかのエッセー「君子危うきに近寄らず」にくわしく述べている。しかし、情熱は、自分に課したタブーを壊すまでに増大していた。

 『父殺しの文学』については、いくつか不正確なデータも書き込まれていて批判を浴びるところとなったが、おおむね好評だったのではないか、と思う。これほど短期間に精神を集中することができた本はないし、いまもこよなくこの本を愛している。

 ところで、わたしがこれまで書いてきた本の多くは長い年月の研究の一つの結実としてあったものだ。最初の本『甦えるフレーブニコフ』も近い将来、文庫本で出る見通しだが、ひとりの無名詩人の伝記を扱った本などは、なんと17年がかりで書き上げたものだった。わたしの尊敬する中沢新一氏から、ある新聞紙上で、「1980年代に書かれた最良の本の一つ」とまで褒めていただいた。まさに長い努力のたまものだったのである。しかし文章を書くという面でのある種の慣れが生まれるにしたがって、テンポがあがった。本は、基本的には売れることが前提である。なぜなら、それによって編集者や本にたずさわる人たちの生活がある程度保証されなくてはならないからだ。しかし売れればよいというものではぜったいにない。『甦えるフレーブニコフ』は、1200部を完売するのに、じつに10年以上かかった。この本が文庫本で出るなど、想像もできなかった。

 わたしはいま、『罪と罰』を翻訳しており、あと数日で第一巻(1、2部)が完成する。『カラマーゾフの兄弟』とは異なったアプローチを試みるつもりでいる。工藤訳も、江川訳もそれぞれ苦心の賜物である。

 『カラマーゾフの兄弟』が出てから、多くの賞賛と同時にすくなからぬ批判を受けた。読みやすい、という評価、翻訳者として最高の喜びである。最後まで読んでもらえなければ、どうしようもない。
 
 批判にもそれなりの理由がある。
 しかし、翻訳という概念をめぐる議論なしに、翻訳と作品の関係性ぬきに議論はけっして生産性のあるものとはならない。
 面白いことに、およそ30年前に出た『罪と罰』の翻訳を見てみると、まだまだ、いくつか未解決の部分があるらしいことに気づく。いちいちここに挙げることはしない。

 問題の一つは、翻訳者が、けっして神のように、一定したロジックと精神状態で作業を行っているわけではない、ということである。すばらしい、と思える部分の訳が、しばしば訳者による補いの部分であったりすることもある。それに、ドストエフスキーの場合、彼自身のはげしい気分の落差が文体に現れることもある。翻訳者はそれこそ閉口する。それを口実に、翻訳者が冒険をおかすことはまれではない。その冒険は、過剰な説明によって行われる場合もあれば、言葉の節約によって行われる場合もある。
 なかにはやんちゃで悪戯好きな翻訳者もいるかもしれない。

 わたしはいつも思う。翻訳というのは、一種の化粧にたところがある、と。薄化粧をこのむ翻訳者もいれば、厚化粧をこのむ翻訳者もいる。また、時代によって求められる化粧もある。しかし、とにもかくにも、翻訳は、いや、文は人なり、というくらい、さまざまなタイプの翻訳者がいるということだ。短編小説と、長編小説でも翻訳のコンセプトが異なってくるだろう。

 かつてロシア・アヴァンギャルドを研究していたとき、演出家のメイエルホリドが面白いことを口にしていたのを思い出した。『カラマーゾフの兄弟』を翻訳しているろき、なぜかそれが何度も浮かんでは消えたのを記憶している。メイエルホリドは、芸術を受容する人々のエネルギーの限界ということをつねに念頭に置いていた。
 野間宏さんの初期の短編(「暗い絵」「崩解感覚」)の文体で、「青年の輪」のような大長編を書くことはできない。受容者はけっしてついていけない。

 今度は、弁明ではなく、説明である。わたしがここで必要と考えている説明は、『カラマーゾフの兄弟』の翻訳のコンセプトである。
 わたしは、まず、この翻訳の対象を幅広く考えた。高校生から老人まで、そしてロシアのことについて何もしらない読者である。そこから生まれた翻訳の姿勢とは、内容に即して、内容に踏み込んで翻訳するということである。原文にはない割注はいっさい(可能な限り)使わないという方針も立てた。そして読書ガイドを充実させることで、できるだけ小説の世界に抵抗なく入り込めるようにした。ロシア人の名前の仕組みから、お金の価値の比較まで配慮して説明した。
 しかし何よりも、自分が理解した結果として翻訳するという方法に準じたことだけは断言できる。じっさいに最後までわからない箇所がいくつかあった。
 こうした試みの総体として、『カラマーゾフの兄弟』はある。いくつか逸脱も生まれ、いくつかの間違いも生まれたが、それらには時として偶然的なものも含まれている。それはときどき神の善意や悪意さえを思わせる。かんたんにいうと、神の悪戯、ということだろうか。

 わたしが志した「内容訳」(造語である)の例を一つだけ挙げてみる。
 たとえば、「完全な女性解放」を「完全に自由な生活」としたことも参考になる。
 エマンシパーツィアを「女性解放」と置き換えることによってのみ翻訳の正しさが正当化されるというものではない。
 この小説の文脈で、作者が言いたかったのは、当該の女性すなわちフョードルの妻で、神学生と駆け落ちした女性が、ペテルブルグで「女性解放を実践した」ということではない。そこで意味されているのは、女性解放にかこつけて(あるいはかこつけずとも)、完全に自由な、さらに言うなら、乱脈放恣な生活を行った、ということである。「女性解放」は語り手のアイロニーとして一種、比ゆ的な意味に用いられている、にすぎない。

 わたしはこれから、断続的ながら『カラマーゾフの兄弟』の連続講義を試みようと思っている。翻訳の5巻で行った解説や、「続編空想」で語りえなかったこと、おりおりの発見をつづっていくのだ。そして願わくばそれを一冊の本にしあげたいと願っている。最初の聴き手となるカフェのみなさんには、マスターの講義について、いろいろコメントをいただければ、と思う。その連続講義のサブタイトルが、My Necessary Explanation 「わたしの必要な説明」である。もちろん、ご存知だろう。『白痴』のイッポリートをまねたのである。全体の構成は、またしても12+1ということになる。

 つかのま、楽しい予感が生まれた。

 今日、外を散歩しながら、「カラマーゾフの会」のような会が生まれたらいいな、と空想していた。
 でも、名前は、「アリョーシャの会」のほうがよいかもしれない、と思った。
 でも、会の誕生と同時に、どこかに「スメルジャコフの会」ができるかもしれない、などと空想して思わずひとり笑いした。

 村上春樹さんのHPにかつて「バー・スメルジャコフ」というのがあったと聞いて、うれしくなった。
 そのバーを訪ねてみたかった。ロシアの移動派の画家が描いたスメルジャコフは、狂気の目を光らせていた。プイリエフの製作したソ連映画は、気味の悪い中年男である。わたしが想像するスメルジャコフは、少なくとも外貌に関するかぎり、好感度は低くない。スメルジャコフの声を、ドストエフスキーはどんなふうに想像していたのだろうか。ドストエフスキーさん、教えてください。

 そう、まいじょさんが昔作ってくださった質問一覧表がありましたね。あれも大いに参考にさせていただくことにします。
 
2008年05月28日

KVa006. The Dark Picture

土曜日に都心で行われる「野間宏の会」で、小さな講演を行うことになり、その準備をしている。わずかな時間を縫うようにして、ようやく「崩壊感覚」を読み終えることができた。日本文学というのは、なかなか凄いんだな、というのが実感だった。デビュー作「暗い絵」からはじまって「崩壊感覚」まで、そこには確実にひとりの作家の歩みが感じられる。それが意識的なものなのか、無自覚な歩みなのか、私にはわからない。いやおうなくドストエフスキーと比較してしまう。かつて加賀乙彦さんの「宣告」を読んだときもそうだったが、希望の光度において、日本文学が描きえる潜在的な力とはどのようなものなのか、考えた。もちろん、近代日本の文学をきちんと理解しているわけでなく、芥川賞作家たちを追いかけてきただけの私に何かを語りえるとは思わない。しかし、やはり何かがちがうということがわかる。
 野間宏がここまで魅力的であるとは正直のところ思わなかった。後が読みたくなるのは、きっと何か期待させるものがあるからにちがいない。いま、言えることは、「崩壊感覚」から彼の第二ステージが確実に始まったということだ。いや、ひょっとすると、これが第一楽章なのかもしれない。
 どこに現代性があるか、といえば、表現である。ものすごく新しいと感じる何かがある。何か古いかといえば、リズムである。野間はやはり目の作家であり、彼の文学は目のリズムなのだ。では目のリズムとはなにか、といえば、それをはっきりとここで説明することができない。
 
 『悪霊』について語るだけの力がなく、せっかくのリクエストに応えることができないのが残念。もう少し精神的なボルテージが高まったところで何かが語れると思う。でも、それはいつかチャンスがあるとして『悪霊』の翻訳にとりかかれるときかもしれない。もっとも翻訳で読むこと以上の喜びを、原文が保障してくれるとは思わない。事実、大学三年の夏に50日かけて『罪と罰』をロシア語で読み通したとき、わたしにオーラは訪れなかった。たんに読み通しただけだったのだ。だから……
2008年05月24日

KVa006. Crime and ...

 みなさん、こんばんは!
 『罪と罰』の翻訳作業に疲れ、カフェに入ることにしました。

 N橋に立ったラスコーリニコフは、酔っ払った女が川に飛び込むのを目撃し、いよいよ殺害現場に向かいます。ソクーロフの映画にも出てくる有名なシーンです。

 なかなかこのカウンターに立てない理由があります。言葉が出てこないのです。不思議なことに、罪罰には、謎と思える場面が多くありません。少なくとも第一部、第二部はそのような印象があります。なぜなのか、を考える必要がありそうです。

 それにしても、江川卓さんの『謎とき』は、よくも謎を拾い出してくださったという気がします。きっとこの本を書いているときの江川さんは、一種の創造的な恍惚の高みにいたのでしょうね。霊感をうしなったマスターにはとてもうらやましく思えます。

 ただ、面白いのは、ルージン氏ですね。彼が、農奴解放後の都市の変貌や犯罪の増加を綿々と述べるあたりは、ドストエフスキー自身がちょっとした役で映画に出ている趣があります。斉藤孝さんの『ドストエフスキーの人間力』が近々、新潮社から出ますが(解説は私が書きました)、彼はルージン氏について面白いことを書いています。ここでは善と悪、正義と偽善が逆転しているのですね。

 ラスコーリニコフ=殺人犯=正義感
 ルージン=一般的社会人=偽善者

 なんだかとても面白い現象だな、と思いました。だって、ドストエフスキーは明らかにラスコーリニコフに加勢しているのですから。というか、これがいわゆる多声性ということなのでしょうか。

 そういえば、ふみおさんから、とても興味深い指摘がありました。さすが作家だけのことはある、と感じました。わたしの理屈はなぜだかひどく幼稚な感じに思えてきたしまったことも事実です。

 文章を書くには、内面的な高まりが欠かせない要素です。
 カフェのみなさん、わたしの充電をどうかお待ちください。

 どうか、自由にご歓談を!

 ところで、カフェ・マヤコフスキーのホストたちはもどってきてくださっているのでしょうか?

 

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